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高松高等裁判所 昭和58年(行ス)2号 決定 1984年4月04日

抗告人 徳島刑務所長

代理人 岸本隆男 西口元 片山朝生 ほか二名

相手方 北谷隆

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

(抗告の趣旨及び理由)

本件抗告の趣旨は、「原決定中抗告人に対し原決定別紙目録記載の文書の提出を命じた部分を取り消す。相手方の右文書についての提出命令の申立てを却下する。抗告費用は相手方の負担とする。」との裁判を求める、というのであり、その理由は、別紙抗告理由書のとおりである。

(当裁判所の判断)

一  記録によれば、徳島刑務所で受刑中の相手方(原告)は、抗告人(被告)に対し、ワニマガジン社発行の雑誌「アクシヨンカメラ」昭和五七年九月号(以下「本件雑誌」という。)につき私本購入願いをしたところ、抗告人が、同年八月九日、本件雑誌のうち原決定別紙目録記載の部分(合計一一ページ。六枚。以下「本件文書」という。)を削除したうえ購入閲読を許可したので、その削除の部分(以下「本件削除処分」という。)が違法であるとして、その取消しを求める頭書本案訴訟を提起したこと、これに対し、抗告人は、本件削除処分が適法であるとして、別紙答弁書のとおり主張し、これを本件文書以外の証拠方法によつて立証すべく、書証として、答弁書一掲記の取扱規程及び運用通達、徳島刑務所収容者閲読図書新聞紙等取扱細則及びその一部改正に関する文書、答弁書二掲記のとおり図書審査会が判定し抗告人が決裁したことに関する図書審査議事録、雑誌「アクシヨンカメラ」昭和五七年一二月号及び同五八年一月号、本件雑誌(右削除部分を除く)の写を提出し、人証として、右図書審査会の構成員(徳島刑務所管理部長)であつた証人福田俊成の証言を援用したこと、しかし、相手方は、三次にわたり抗告人の所持する文書の提出を申し立て、原裁判所は、その申立てを頭書の第四号事件(原決定では「甲申立て」と略称)、同第五号事件(同「乙申立て」と略称)及び同第六号事件(同「丙申立て」と略称)として一括審理したうえ、甲申立て及び丙申立てについては却下するが、本件文書の提出を求める乙申立てについては、申立ての方式に不備はなく、本件文書は民事訴訟法三一二条一号のいわゆる引用文書に該当することが明らかであり、それが本件削除処分の対象そのものであるということは同条号による抗告人の提出義務を左右する事由にならないから、その提出を命ずる旨の原決定をしたこと、以上のとおり認められる。

二  そこで、抗告人の抗告理由について検討する。

1  抗告理由一について

文書提出の申立てにおいて明らかにすべき民事訴訟法三一三条四号の証すべき事実とは、当該文書によつて立証しようとする具体的事実であり、本件においては、性交をうかがわせるような姿態の写真やそのような描写をした記事などを指すものであることは、所論のとおりであるが、乙申立ての申立書には、証すべき事実として、本件文書は監嶽法上の許容基準内のものばかりであつて煽情的で露骨なセツクス写真記事等ではない事実、と記載されており、その記載は、所論のような訴訟の主命題にとどまらず、本件文書が右のごとき写真や記事であるか否かという本件訴訟の争点たる具体的な事実をも簡明に表示しているものと認められるから、乙申立てが右の証すべき事実の明示を欠いているとはいえない。原決定に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

2  同二について

民事訴訟法三一三条五号の文書提出義務の原因とは、所論のとおり、同法三一二条一号ないし三号のいずれによるかということであるが、これは、文書提出申立書において十分に表明されていなくても、訴訟の経過や申立てをした当事者の主張の全体からみて推知できれば、それで足りると考えて差支えなく、そのように推知できるにもかかわらず、申立書上は明確を欠いているという点のみをとらえて申立てを不適法とみるのは妥当でないというべきである。これを本件についてみるに、乙申立ての申立書には、文書提出の原因として、相手方の請求原因事実を抗告人が争う以上当事者双方にとつて唯一の証拠でもある本件文書を裁判所に提出しチエツクしてもらう必要がある、と記載されているだけあつて、右の一号ないし三号のいずれによるかが明示されていないけれども、記録によれば、相手方は、抗告人において本件文書が煽情的で露骨なセツクス写真記事等である旨主張したため、そうではないと反論し、本件文書の提出を申し立てたものであることが明らかであり、また、かかる経過を踏まえて右の記載をみれば、相手方のいわんとするところは、抗告人が右のとおり主張するので本件文書が提出されるべきである、ということにほかならないと認められ、しかも、本件文書が右の一号ないし三号のいずれに該当するかを考えてみれば、三号に該当しないことは明白であり、本件削除処分が失効していない現時点では二号に該当するともいえず、結局、問題となるのは一号のいわゆる引用文書に該当するか否かということだけである(このことは抗告人においても十分認識できた筈である。)から、これらを総合すれば、相手方は右の引用文書として本件文書の提出を申し立てているものと推知することができる。従つて、原決定に所論の違法があるとはいえず、論旨は採用することができない。

3  同三について

民事訴訟法三一二条一号はそのいわゆる引用文書について格別の限定をしていないし、文書の引用が証拠としてなのかそうでないのかは必ずしも明確でない場合があることなどに徴すると、右の引用文書とは、必ずしも証拠として引用された場合に限らず、当事者が訴訟手続中において自己の主張の裏付としてその存在及び内容に言及した文書であれば足りると解するのが相当であるところ、抗告人は、本件訴訟において、本件文書が煽情的で露骨なセツクス写真記事等である旨言及し、これを前提として本件削除処分が適法である旨主張しているのであるから、本件文書を引用したものといわざるをえない。抗告人は、所論のような特殊性や立場からしてやむなく本件文書の存在及び本件訴訟の命題たる閲読不適当と判断した理由について言及したものにすぎず、積極的に言及したわけではないし、本件文書の内容には言及していない、というが、抗告人は、右の特殊性によることとはいえ、本件訴訟において本件削除処分の適法性につき主張立証をなすべき立場にあるため、右のとおり言及したものであるから、その言及に積極性がないとはいえず、また、本件文書の内容と抗告人のいう訴訟の命題とは、密接に関連し、明確に区別し難い面があることを考慮すれば、抗告人の右のような言及は、訴訟の命題の範囲にとどまらず、本件文書の内容にもわたつているというほかない。従つて、本件文書が引用文書であるとの原審の判断は是認せざるをえないので、原決定に所論の違法があるとはいい難く、論旨は採用することができない。

4  同四ないし六について

本件削除処分は、抗告人がその権限に基づいてした行政処分であつて、これを当然無効ならしめるほどの重大且つ明白な瑕疵があるとは到底認められないので、たとえ違法であつても、本件訴訟で取り消されない限り、その効力を有し、何人もこれを否定できないというべきところ、提出命令により本件文書が提出された場合に、相手方においてこれを騰写し写を所持することが是認されるとすれば、相手方は、本件文書の内容を閲読できることになるから、提出命令によつて、実質上、右の効力が失われたのとほぼ同じ結果を生ずるといわざるをえない。しかし、民事訴訟法及び民事訴訟規則の書証に関する規定に徴すると、提出命令に基づき提出された文書の証拠調べの方法としては、裁判所が当該文書を口頭弁論において提示し、挙証者においてその全部又は一部を書証として援用することで足り、その写を作成して訴訟記録に編綴することは必要不可欠でなく、提出文書そのものは裁判所が留置しておけばよいと考えられ(実務上は、通常、挙証者が提出文書を騰写したうえ写と共に書証として提出する方法が行われ、挙証者自身も写を自己の所有物として所持することが是認されているけれども、これは任意の慣行であつて、法律上はそうしなければならないわけではない。)、また、右のように留置した文書は、騰写請求等の対象となる民事訴訟法一五一条三項の訴訟記録には含まれないと解せられるので、かかる見地に立つて本件文書の証拠調べをすれば(行政処分の効力との関係が問題となることに鑑みそのようにするのが妥当である。)、相手方が本件文書の写を入手しこれを自由に閲読できるという事態にはならないから、本件文書の提出命令によつて本件削除処分が実質的に取り消されるのと同じ結果を招くわけではないというべきである。

また、文書の提出によつて侵害されるおそれのある公共の利益は保護されなければならないから、その保護の必要性が立証のための当該文書提出の必要性を上回るような場合には、いわゆる引用文書であつても提出命令の対象とならないと解するのが相当であるが、本件文書が本件訴訟の争点を端的に証明できる資料であり、受訴裁判所が証拠調べの必要があるとの専権的な判断により原決定に及んでいること、右のとおり相手方が本件文書の写を入手閲読できるわけではないし、本件文書を証拠としたうえでの裁判所の事実認定及び法律判断により相手方の請求が棄却される可能性もあるから、現段階では、本件文書の提出命令が刑務所における管理運営上の公共の利益を著しく害し矯正行政を混乱せしめるとは認め難いことなどに照らすと、本件が右の場合にあたるとは即断し難い。

なお、前記証人は本件文書の内容について具体的な証言をしており、これと他の書証をあわせれば、本件文書がどのようなものであるか及び本件削除処分が適法であるか否かの判断は可能であると考えられるので、更に本件文書を証拠として追加させるまでの必要性があるのか、という問題があるけれども、文書提出の申立てに係る文書につき証拠調べの必要性があるかどうかは、本案事件の審理判断をなすべき受訴裁判所が事案の内容、訴訟の進行状況その他諸般の事情を勘案して専権的に判断すべきものであるから(民事訴訟法二五九条参照)、その点につき本件のような抗告審において上級裁判所が制肘を加えることは、受訴裁判所の自由な心証の形成を妨げることにもなり、許されないというべきである。

原決定に所論のような違法があるとはいえず、論旨は採用することができない。

三  よつて、本件抗告は理由がないからこれを棄却し、抗告費用は抗告人に負担させることとして、主文のとおり決定する。

(裁判官 宮本勝美 早井博昭 山脇正道)

(別紙)

抗告理由書

原決定は次の諸点において法令解釈、法的判断の誤り等の違法がある。

一 原決定は、「本件文書の内容が、当該許容基準に照らして煽情的で露骨なセツクス写真記事であるか否かは、本件文書の内容自体により直接立証しうる具体的事実であり、」、乙申立てにおいて相手方(原告)が主張している証すべき事実は、「民訴法三一三条所定の「証すべき事実」に該当するものというべきである。」旨判示する。

しかし、民訴法(以下「法」という。)三一三条四号所定の「証スヘキ事実」とは、抗告人(被告)の昭和五八年九月二九日付け意見書において述べたとおり、証明の対象たる具体的事実、すなわち、本件においては例えば性交をうかがわせるような姿態の写真やそのような描写をした記事そのものを指すのであつて、これらの具体的事実に基づいて判断されるべき訴訟の主命題を指すものではないと解すべきである(同旨東京高裁昭和四七年五月二二日決定・高裁民集二五巻三号二〇九ページ)。

ところが、乙申立書に記載されている「証すべき事実」なるものは、本件文書の内容が監嶽法上の許容基準内のものばかりで、煽情的で露骨なものではないというものであるが、それは右に述べた性交をうかがわせるような姿態やそのような描写をした記事というなまの具体的な事実について、裁判官がなすべき評価、換言すれば本件訴訟において最終的に判断されるべき訴訟の主命題そのものというべきであるから、法三一三条四号所定の「証スヘキ事実」には該当しないものである。

したがつて、原決定はこの点において法的判断を誤つた違法がある。

二1 原決定は、乙申立てが法三一三条五号所定の「文書提出義務の原因」を、同法三一二条所定の事由に即して明らかにはしていないとしながら、結局同法三一三条の適法な方式を具備している旨判示する(決定書第二、二、1、(二))。

しかし、法三一三条五号所定の「文書提出義務の原因」については、まず第一に、文書提出義務が法三一二条各号のいずれに基づくものかを特定し、第二に、右特定された当該号に該当する具体的事実を明らかにしなければならない。そして、右「文書提出の義務」は、申立て自体(法三一三条一号、二号及び四号の記載も含む。)によつて明確にされなければならないのである(法一五〇条参照)。

ところが、乙申立書に記載されている「文書提出義務の原因」についてこれをみるに、右申立てには、法三一二条各号のいずれに該当するのかの記載がなされていないことは明白である。したがつて、当然のことながら、右申立書には、なにゆえ本件文書が引用文書に該当するのかの点についても、何ら具体的記載はない。

原決定にはこの点についても法的判断を誤つた違法のあることが明白である。

2 原決定は、「本件記録によれば、申立人は本件文書を同条一号所定の相手方(本案事件被告)による引用文書として、提出を申し立てているものと解されないではなく、」と判示する。

しかし原決定は、相手方(原告)が「取下書」と題する書面をもつて申し出を撤回したものを含めて、本件記録中のどの部分に相手方(原告)が法三一二条一号の引用文書であるとして本件文書の提出を申し立てているとみられる記載があるというのであろうか。本件記録中にはそのようなことをうかがわせる記載は全く存在しないのである。

3 原決定は、「相手方(注)も、その意見書によれば、右のように解することを前提として反論しているのであるから、右のように善解しても相手方に訴訟上格別の不利益を与えるわけではない。」旨判示し、あたかも抗告人(被告)は相手方(原告)の乙申立てを法三一二条一号に基づくものであると理解し、それを前提に意見書をもつて反論しているかのように断じている。

しかし、抗告人(被告)は、乙申立てが法三一二条各号のうちのいずれの号所定の文書としてその提出を求めているものであるのかが不明であるからこそ、意見書をもつて乙申立てが法三一三条所定の方式を具備していないとの意見を述べているのである。そして念のため、参考までに本件削除処分に係る本件文書が法三一二条の一号ないし三号のいずれにも該当しないことを明らかにしたにすぎない。このことは抗告人(被告)昭和五八年九月二九日付け意見書の第一の2(一)、同第二の四及び同五七年一〇月一五日付け意見書の三2の各記述から明白である。

結局、原決定は右の点についても、善解の名の下に法三一三条の適用につき判断を誤つた違法があるものといわなければならない。

三 右に述べたとおり、相手方(原告)は本件削除処分に係る本件文書が法三一二条一号所定の、抗告人(被告)による引用文書であることを理由に提出を申立てているとした原決定の判断は誤つているが、その点はおくとしても、原決定には法三一二条一号の解釈を誤つた違法がある。

すなわち、抗告人(被告)が前掲昭和五八年九月二九日付け意見書第二の四の2(一)(1)において述べたとおり、法三一二条一号にいう「引用シタル文書」というためには、文書そのものを証拠として引用することが必要であると解すべきである。

仮に、自己の主張を明白にするために引用すれば足ると解する立場をとるとしても、「引用シタ」というためには、訴訟において文書の内容につき積極的に言及することが必要であると解すべきである(東京高裁昭和四〇年五月二〇日決定。判例タイムス一七八号一四七ページ参照)。

しかし本件の場合、抗告人(被告)の右意見書の第二の四の2(一)(2)記載のとおり、本件文書が正に本件処分の対象となつた写真ないし記事そのものであるという特殊性から、抗告人(被告)としては、本件訴訟において立場上自己のなした処分が適法であることを基礎づけるため、やむを得ず本件文書つまり「アクシヨンカメラ」九月号中の当該削除文書(削除部分)の存在と閲読不適当と判断した理由、すなわち本件訴訟の命題について言及せざるを得なかつたものにすぎないのである。したがつて、そこには法三一二条一号の予定している前述のような「積極性」は全くないので、本件文書は同号所定の「引用文書」に該当するものではないと解すべきである。

原決定は、この点につき法律の解釈を誤つた違法がある。

四 原決定は、乙申立てが認められても、本件文書提出命令によつて、在監者である申立人が刑務所施設内において本件文書を常時閲読可能な状態で所持することまで許容されるものではないと断じた上、「本件文書提出命令により、常に本件図書削除処分が実質的に取り消されるのと同一の結果となるわけのものではなく、またそうなる場合があるとしても、国民の裁判を受ける権利の実現という民事司法制度の運用上やむを得ないところである」として、もし乙申立てが認容されることになれば、本件訴訟の訴訟物であり、かつ公定力を有する本件図書削除処分を単なる証拠決定によつて実質上取り消したと同じ結果を招来することになるとの抗告人(被告)の意見を排斥している。

しかし、原決定の右判断は何らの根拠に基づかない、全くの独断というほかはない。それに、そもそも原決定の右判断の前提たる「本件文書提出命令によつて、在監者である申立人が、刑務所施設内において本件文書を常時閲読可能な状態で所持することまで許容されるものではなく」、との部分については、全く客観的事実と相反するもので、明らかに事実を誤認している。すなわち、

1 徳島刑務所においては、従来から未決、既決の別を問うことなく、在監者の裁判を受ける権利の保障の見地から、訴訟関係書類に関する限りその書面の種類を問わず、当該在監者からそれの房内所持の願い出がなされれば、すべてこれを許可して常時の房内所持を認めているのである。そして、その取扱いは相手方(原告)についても例外ではなく、現に相手方(原告)は願い出による許可を受けて訴訟関係書類を房内所持しているものである(疎甲一号証の一及び二)。

2 もし、原決定のいうように、刑務所内在監者に対する訴訟関係書類の房内所持は、訴訟追行上必要な限度に限定されるべきものとした場合、当該在監者を当事者とする訴訟において、訴訟追行上はたして必要な限度であるか否かを判断するのは、いかなる基準に基づいて一体だれが判断すべきことになると原決定は考えているのであろうか。

徳島刑務所においては、在監者を当事者とする訴訟に係る訴訟関係書類について、所内の規律維持に関係しないのに法令等の明確な基準のないまま刑務所側の判断でその房内所持の不許ないし制約をなすことこそ、在監者の裁判を受ける権利を侵害するおそれを生ずる可能性があるとの見地から、刑務所長は右述のとおり、在監者から願い出があればすべてこれを許可して、常時の房内所持を認めているのである。

したがつて、もし本件文書提出命令が抗告審において支持されることになれば、相手方(原告)は、本案(本件図書削除処分取消請求)に勝訴し、かつその確定を待つまでもなく、本案訴訟の審理過程における単なる一証拠決定にすぎない本件文書提出命令によつて、本案勝訴判決の確定と全く同一内容の法的効果を享受することになる。つまり、換言すれば相手方(原告)は、抗告人(被告)が裁判所に提出した本件図書を閲覧し、あるいは既に訴訟関係書類房内所持の許可を受けているところから、自らが裁判所に対する所定の手続を経由して本件図書の謄本ないし写しの交付を受け、じ後、本件図書削除処分の取消判決が確定したとき又は本件図書削除処分が当初からなされなかつた場合と全く同一条件の下に、房内において自由に本件図書すなわち本件図書削除処分の対象となつた写真及び記事の内容を自由に閲読することができる状態となるのである。

そうであるとすれば、本件文書提出命令により、常に本件図書削除処分が実質的に取消されるのと同一の結果となるわけのものではないと断じた原決定には、法的判断を誤つた違法があることは明白というべきである。

五 行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)七条は「行政事件訴訟に関し、この法律に定めがない事項については、民事訴訟の例による。」と規定している。ここに「民事訴訟の例による」というのは、行政事件訴訟特例法一条が行政事件訴訟について「この法律によるの外、民事訴訟法の定めるところによる。」と規定していたのと異なるところから、一般に、行政事件訴訟においては、民事訴訟に関する法規は行政事件訴訟の本質に反しない限りにおいてのみ準用されることを認めたものであると解されている(南博方編・注釈行政事件訴訟法七六ページ、田中二郎・新版行政法上二七一ページ)。このことは行政事件訴訟において、その本質に反する場合には民事訴訟法の規定を適用ないし準用することは許されないことを意味するものといわなければならない。

しかるに原決定は、本件文書提出命令により本件図書削除処分が実質的に取り消されるのと同一の結果となる場合があるとしても、国民の裁判を受ける権利の実現という民事司法制度の運用上やむを得ないところであるとして、本件図書につき文書提出命令を発出することは行政事件訴訟の本質に反することになるので許されないとの抗告人(被告)の意見を排斥した。

しかし、原決定には、次に述べるとおり、行訴法七条の解釈を誤つた違法がある(なお抗告人(被告)昭和五八年九月二九日付け意見書の第二の一、2(二)参照)。

1 前記四において述べたところから明白なように、本件文書提出命令が確定することによつて相手方(原告)は、徳島刑務所長が刑務所の規律維持及び矯正教化の目的に照らして閲読不適当として削除処分をした本件図書を常に自己の居房内に所持し、閲読可能な状態におくことができる。換言すれば、相手方(原告)は、本案について本件図書削除処分の取消判決の確定を待つことなく、極めて容易に所期の目的を達し得ることになる。すなわち、本件文書提出命令は、それが出されることによつて、行政処分として公定力を有する本件図書削除処分を取り消したと全く同一の法的効果を生ずることになる。このことは文書提出命令に従わなかつたときの制裁規定である民訴法三一六条の機能に思いを致せば極めて明確といわなければならない。

そうであるとすれば、およそ裁判所が瑕疵ある行政処分を取り消すには、当該行政処分の取消訴訟において本案の終局判決によつてのみこれをなし得るとの行政事件訴訟の大原則を無視し、かつ行政処分の公定力を否定する結果となる証拠決定をなすこと自体、行政事件訴訟の本質に反するものであることは明白であり、行訴法七条の趣旨に照らして許されないことは多言を要しないところというべきである。

2 原決定は、「全法律秩序の中での調和の要請から、一つの公共の利益が自余の利益のために譲歩することを相当とするような合理的理由が存する場合には、右譲歩を承認しなければならない。」旨の利益こう量の一般論を展開した上、刑務所における矯正施設としての管理運営上の公共の利益が「日本国憲法によつて保障されている国民の裁判を受ける権利実現の利益のため、それに必要な限度で譲歩せしめられることには、これを相当とする合理的理由があるというべきである」として、実質上本件図書削除処分を取り消すに等しい本件文書命令をなすべきか否かの問題に関し、矯正施設としての刑務所の管理運営上の公共の利益と広く国民一般の裁判を受ける権利とを対比している。

しかし、ここで対比すべきは、受刑者として徳島刑務所に収容されている相手方(原告)が雑誌「アクシヨンカメラ(九月号)」中の本件図書削除処分の対象となつた性交をうかがわせるような姿態の写真やそのような描写をした記事等を閲読したいという個人的欲望を満たすことの利益と、本件文書提出命令が発出されることによつて前記四で述べたような状態が現出せしめられ、かつそれが単に相手方(原告)のみならず、同刑務所の他の在監者ひいては他の矯正施設の収容者にまで波及的効果を及ぼすおそれがあるとの刑務所における在監者に対する矯正教化目的への重大な影響という公共の利益が対比されるべきものであつて、国民一般の裁判を受ける権利などという抽象的なものとの対比ではないのである。

要するに、右に述べたことから明らかなように、本件図書削除処分を実質上取り消す効果を生じさせてもなお、あえて相手方(原告)の右個人的欲望を刑務所の管理運営上の公共の利益よりも優先させることに合理的理由があると断じた原決定は、行訴法七条の解釈を誤つた違法があることは明白である。

六 矯正施設としての刑務所における管理運営上の公共の利益について更に付言すると次のとおりである。すなわち、

本件文書提出命令がもし抗告審によつて支持されることにより、相手方(原告)は前記四で述べたとおり自己の居房において本件図書削除処分の対象となつた本件文書の内容を自由に閲読し得ることになるが、そうすると、今後同人は図書につき閲読不許可処分あるいは削除処分を受けるや、本件訴訟の場合と全く同じ手法で、まず閲読不許可処分の取消訴訟ないし図書削除処分の取消訴訟を提起し、次いで当該図書につき文書提出命令の申立てを行つて提出命令を得、結局本案の終局判決によらないで閲読不許可あるいは削除処分を受けた図書の閲読目的を達するという方法を繰り返すであろうことは火を見るよりも明らかである。

さすれば、徳島刑務所においては、相手方(原告)に対する矯正教化の目的を達することができなくなるばかりか、右のような手法をとることによつて閲読不許可処分あるいは削除処分を無意味ならしめることが可能であるとのことが刊行物を通じて同刑務所内、ひいては全国の矯正施設に伝播すると、もはや矯正施設における規律維持はなし得ず、矯正行政は収拾のつかない大混乱に陥るおそれなしとしないのである。

このようなことは行訴法七条の到底予期しているところではないというべく、その意味において同条の趣旨に照らして本件図書につき文書提出命令をなすことは許されないといわなければならない。

七 その余の点については抗告人(被告)の昭和五八年九月二九日付け意見書中の意見を援用する。

(注) 原決定のいう「相手方」とは本案訴訟の被告を指し、抗告人のいう「相手方」は当抗告審の相手方で本案訴訟の原告を指す。

(別紙)

答弁書

原告は、大阪地方裁判所において、殺人、強盗銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪により、懲役一五年に処せられ、大阪拘置所において昭和四九年二月九日から刑の執行を受けていたところ、収容区分に従い同年三月五日徳島刑務所に移送された受刑者であるが、昭和五七年八月九日被告が行つた原告の購入雑誌である本件図書の審査において、本件図書九八ページの内六枚を削除した処分は違法であるとして、その取消しを求めている。

しかし、被告が原告に対してなした本件図書削除処分は、以下に述べる経緯及び理由によるものであつて何ら違法なものではない。

一 徳島刑務所における図書閲読の取扱いについて

徳島刑務所の収容者に閲読させる図書、新聞紙等の取扱いについては、「収容者に閲読させる図書・新聞紙等取扱規程」(昭和四一年一二月一三日矯正甲一三〇七法務大臣訓令(以下「取扱規程」という。))及び「収容者に閲読させる図書・新聞紙等取扱規程の運用について」(昭和四一年一二月二〇日矯正甲一三三〇矯正局長依命通達(以下「運用通達」という。))に基づいて運用しているが、受刑者に関する閲読の許可基準についてみると、<1>身柄の確保を阻害するおそれのないもの、<2>規律を害するおそれのないものであつて、かつ、<3>教化上適当なものでなければならない(取扱規程第三条第四項)ものとされ、その具体的判断にあたつては、<ア>逃走、暴動等の刑務事故を具体的に記述したものであるか否か、<イ>所内の秩序びん乱をあおり、そそのかすものであるか否か、<ウ>風俗上問題となることを露骨に描写したものであるか否か、<エ>犯罪の手段、方法等を詳細に伝えたものであるか否か、<オ>その者の教化上不適当であるか否か等の諸点に留意し、その閲読が拘禁目的を害し、あるいは当該施設の正常な管理運営を阻害することとなる相当の蓋然性を有するものと認めるときは閲読を許さない(運用通達二の1)とされている、そこで、同刑務所では、図書閲読の許否についての判断に慎重を期すべく、予め教育課長、保安課長、管理部長が構成する図書審査会に付議し、図書の閲読の許否は、被告が決定することにしている。

また、取扱規程第三条第五項によれば、収容者に閲読させることのできない図書であつても、被告において適当であると認めるときは、支障となる部分を抹消し、又は切り取つたうえ、その閲読を許すことができるとなつている。そこで、同刑務所においては、新聞紙等については抹消の方法をとつているが、図書については取扱量が多いため、すべて抹消方法をとることは事務上困難である。更に、雑誌については紙質によつて、抹消後もなお閲読可能な場合がある等のため、収容者に閲読させることが不適当な部分は、切り取ることにしている。

二 本件図書削除処分に至るまでの経緯

昭和五七年八月一日原告から私本購入願いが出され、昭和五七年八月九日、本件図書について図書審査会に付議したところ、本件図書の二四ページ、六九ページ、七〇ページ、七一ページ、七七ページ、八一ページ、八四ページについては煽情的で露骨なセツクス写真記事等により前記運用通達にいう風俗上問題になることを露骨に描写したものに該当するもので、かつ、教化上適当なものにも該当しないところから、拘禁目的を害し、施設の正常な管理運営を阻害する相当の蓋然性を有するものと認められた。

従つて、同審査会としては、当該部分を削除した上で許可する旨の判定を行い、被告の決裁を得て、同日当該部分を切り取つた後、同月一一日原告に対し本件図書の取下(交付)を行つたものである。

なお、七二ページ、七八ページの二箇所については図書閲読不許可の対象にはなつていないが、七二ページの表に当たる七一ページ、七八ページの表に当たる七七ページは、それぞれ男女の性愛等風俗上問題となることを露骨に描写したものであるから、図書閲読不許可の対象となつており、本件図書も含め当時審査の対象となつていた図書の中で不許可部分と判定したすべての箇所を抹消することは、著しい事務量の増加をもたらし、迅速な処理が困難となること、本件図書のうち、例えば、不許可部分とした七七ページについては、抹消後もなお閲読可能な状況が認められること等の理由により、被告の裁量において削除を行つたものである。

三 本件図書削除処分の適法性

図書閲読の自由は、受刑者といえども十分尊重されるべきであるが、それは、もとより無制限なものではなく、その図書を閲読させることにより刑務所における規律保持や受刑者の矯正教化の目的を阻害するおそれがある場合には、右自由が制限されて、刑務所長においてその図書の閲読を許さず、もしくはそのおそれのある部分について削除することも許されている。

そして、受刑者の多くが一般社会に適合性を欠くがゆえに受刑生活を強いられている者であること、受刑生活が一般社会から隔離された特殊な場所でのそれであり、しかも異性に接する機会もほとんどないものであること、受刑者には常に戒護上の不安(男色行為)があること、行刑目的を達するためには心理的矯正が必要であること等を考慮すると、ある図書もしくはその一部分が制限の対象となるかどうかの判断は刑務所長の専門的、技術的な判断に委ねられるべきものである。

そこで、本件図書についてみれば、二四ページ、六九ページ、七〇ページ、七一ページ、七七ページ、八一ページ、八四ページはいずれも煽情的で露骨なセツクス写真記事等であつて、これらは刑務所の規律保持、受刑者の教化上適当でなく、図書閲読不許可の対象となることは明らかである。

四 結論

従つて、被告は、前記取扱規程及び運用通達に基づいて、その裁量の範囲内において、本件図書の削除処分をしたものであるから、その処分につき何ら取消すべき違法事由はなく、監嶽法第三一条に違反するものではない。

よつて、原告の被告に対する本件請求は失当であるから、速やかに棄却されるべきである。

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